【宗教戦争】日本に宗教戦争が存在しない理由【織田信長と寺社勢力】

誰得雑学

この世界では文明が誕生してから現在に至るまで、ありとあらゆる様々な宗教が存在してきました。

宗教には人に生きる喜びや生きる価値、そして希望を与えてきたことは言うまでもないことでしょう。

ですが時に宗教は人を狂わし、たくさんの人を傷付けてしまう一面も残念ながら持っています。

宗教戦争とは

世界ではこれまで、宗教的価値観の押し付け合いなどによって各地で戦争や紛争を起こしてきたという事実があります。

それが「宗教戦争」と呼ばれるものです。

そして、宗教戦争によってたくさんの子供たちも犠牲になっているのです。

これが悲しい現実となります。

また、宗教戦争とは宗教間での戦争だけではなく、宗教と政治の対立によって起こる戦争もあります。

それはつまり支配層による政治的な理由での宗教弾圧です。

ですが、日本では宗教戦争という言葉はあまり聞き慣れないものです。

それは現在の日本において宗教戦争が起こっていないことが一番の原因でしょう。

ではなぜ、今の日本では宗教戦争が起きていないのでしょうか?

かつて日本にも宗教戦争は存在した

その答えを導き出すためには日本の歴史を紐解く必要があります。

つまり、この日本においてもかつては宗教戦争が存在していたということです。

日本の歴史上にある有名な宗教戦争といえばこちらになるでしょう。

そう、織田信長と本願寺との戦いです。

織田信長と本願寺との戦い

この戦いはおよそ10年にも渡って続き、日本の宗教戦争の中でも最も有名な事例といえるでしょう。

この戦いにおいて寺社勢力であった本願寺は、信長の勢力に対して徹底抗戦をかまえる形をとりました。

そして戦いは泥沼化し、10年という長い宗教戦争へと発展したのです。

宗教弾圧という誤ったイメージ

この戦いは現在の日本においては「信長の天下統一に向けた武力による宗教弾圧」、そんなイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。

ですが、信長は決して宗教に対して否定的な人物ではありませんでした。

例えば自分の部下が敵対する勢力の宗教であっても、信長はそれを禁止することはなかったのです。

つまり、信長が本願寺などの寺社勢力と戦ったことは単に勢力拡大のために行ったことではなく、そこには他の理由があったからなのです。

「寺社勢力」と「座」

戦国時代の日本では寺社勢力や「座」と呼ばれる集団の力が非常に強く、一般の市民が商売を始めることがとても難しい状況でした。

強大な権力を持っていた寺社勢力や「座」が経済を牛耳り富を独占していたため、一般の市民が自由に商売をすることが許されない社会となっていたのです。

織田信長の憂い

そんな社会の現状を打破しようとしたのが信長だったのです。

寺社勢力や「座」が力を持ちすぎたため、市民が自由に商売ができず、それが原因で経済が活発にならないことを信長は憂いたのです。

そして信長は社会の仕組みを根底から変えようと考えたのです。

楽市・楽座

そこで信長が打ち出した政策が、あの有名な「楽市・楽座」です。

「信長の領内では、商人は『座』に入らずとも、自由に商売できる」というルールを作り、商人の新規参入をしやすくしたのです。

関所の撤廃

また、当時は必要もない関所が多数存在しており、市民はそこを通るためだけに毎回お金を払わされていました。

それによって経済活動が活発にならないという問題も抱えていました。

そこで信長は、自分の領地内にある関所は全て撤廃し、交通の自由を与えて経済を活発化させたのです。

このように、織田信長は経済活動に関しても優れた政策を次々と打ち出していきました。

ですが、これを面白く思わない勢力がいました。

そう、その勢力とは寺社勢力や「座」です。

「反信長」の誕生

経済を牛耳り富を独占していた寺社勢力や「座」にとって、信長はすでに敵ともいえる存在になっていたのです。

何十年、何百年と続けてきた自分たちの既得権。それを信長によって壊されてしまったからです。

そして彼らはついに、「反信長」の旗を掲げて手を組むことになったのです。

信長と反信長勢力との争い

こうして織田信長と「反信長」勢力との争いは口火を切り、1570年から1580年までのおよそ10年にも渡る争いへと発展し、各地で血みどろの戦いが繰り広げられることになったのです。

つまりそれは、「反信長」勢力があの織田信長と10年もの長い戦いができたともいえるのです。

戦国時代の寺社勢力というのは、経済だけでなく、強大な武力をも持ち合わせていたということなのです。

裏の支配者「一向宗」

現在のお寺のイメージからは想像することが難しいですが、当時のお寺というものは今とはまったく違うものだったのです。

なかでも「一向宗」は支配者層から武力蜂起を引き起こす教団とみなされ、各地の大名から警戒されている勢力でした。

この「一向宗」は先述した本願寺の宗派でもあり、全国に強大な力を持つ勢力でした。

当時の寺社勢力は戦国時代の「裏の支配者」ともいうべき存在だったのです。

各地の大名が恐れた「一向宗」の存在

「一向宗」は宗教の持つ求心力によって民衆の生活へと溶け込み、瞬く間に全国各地へと広がっていきました。

そして各地の大名はこの求心力を恐れたのです。

さらに「一向宗」は強大な経済力を背景に武装化もしており、戦国大名の敵となりえるだけの軍勢を抱えた「一大組織」でもあったのです。

そのような背景もあり、当時の大名たちはこの「一向宗」を警戒しつつも上手に付き合う必要性があったということです。

つまり、戦国時代の日本では僧侶が武器を持っていることは当然のことであり、日本全土で宗教戦争が起こり続けていた時代だったのです。

織田信長の想い

そこで信長は、全国各地に力を持つ「一向宗」を倒し、日本の経済や社会の構造を変えようとしたのです。

「一向宗」を倒すことによって宗教戦争のない平和な日本を築こうとしたのです。

そしてついに、信長と「一向宗」との10年にも及ぶ長い戦いも終わりを迎えることになります。

一向宗の総本山「本願寺」の降伏

1579年、信長に対して徹底抗戦をしてきた本願寺がついに降伏をすることになります。

これにより信長は、僧兵と呼ばれた寺の僧侶たちから武器を奪うことに成功したのです。

そして長きにわたる寺社勢力の経済的、文化的な支配が終わりを迎えることになるのです。

これはまさに信長による「革命」でした。

日本から宗教戦争を消し去った織田信長

信長はこれまでの寺社勢力の支配を終わらせるとともに、日本全国に存在していた宗教戦争をも消し去ったのです。

つまり信長は、宗教による日本の支配を終わらせるとともに、日本の経済をも活発化させたのです。

そしてさらには、それまで日本に存在していた宗教戦争さえも消し去ってしまったのです。

織田信長の最大の功績

この信長による大革命は歴史学者などからもこのように評価されているのです。

「信長がこの日本に残してくれた最大の功績」だと。

もし、戦国時代に信長が「一向宗」を倒していなかったら・・・。

きっと今の日本でも、海外と同じように宗教戦争が存在していたことでしょう。

「織田信長はお寺を焼き討ちして宗教弾圧をした」

そんな悪いイメージのみが現代では先行してしまっている気がしますが、実はそこには当時の社会背景と「寺社勢力を倒すべき理由」があったということなのです。

そして、経済がより活発で宗教戦争の存在しない「平和な日本を願う信長の強い信念」がそこにはあったのです。