【江戸時代の銭湯】江戸で銭湯が大流行!?その理由は?【歴史雑学】

誰得雑学

はい、どーもぉ、ナンバーロックです。

 

突然ですが、みなさん銭湯はお好きですか?

わたくし、大の銭湯好きでございます。

 

どれぐらい好きかと言うと、

もうね、こーーーーーんぐらい 好きなんです。

 

すごいでしょ? そう、すごいんです。

週に2回は行ってしまいます。

 

もはやこれはDNAに刻み込まれているのではないのか?

先祖代々、DNAによって受け継がれているのではないか?

なんて思うわけです。

 

だから私の銭湯好きはご先祖様のせいってことです。間違いないです。えぇ。

 

そんなわけで今回は、

私を銭湯好きにしてしまった張本人である、

ご先祖様の銭湯事情のお話しをします。

 

 

 

 

 

時は江戸時代。

 

江戸の人達はとにかく銭湯が大好きだったようです。

庶民がお風呂を楽しむようになったのもこの江戸時代からと言われています。

 

なぜ江戸時代に江戸の町で銭湯が流行ったのか?

気になりますよね。理由はこんな感じだったそうです。

 

1、火事が多かったため。

 

 

 

 

江戸の町では火事が多く、火元となる内風呂が禁止されていました。

そのため家にはお風呂が無く、銭湯に通ってお風呂に入る必要があったのです。

 

2、水がとても貴重だったため。

 

 

 

 

 

まず、江戸の町は埋め立て地だったということがポイントとなります。

そんな埋め立て地の江戸の町で井戸を掘ろうものなら塩水しか出てこなかったのです。そりゃそうなりますよね。

なので江戸の人達は飲み水を確保するのも大変だったのです。

そんな水がとっても貴重だった江戸の町で、大量の水が必要なお風呂を家で入るなんてことは、まったく現実的ではなかったのです。

 

3、お風呂を沸かすための薪(まき)が高価だったため。

 

 

 

 

さらに拍車をかけて、当時は燃料となる薪(まき)もとても高価なものでした。

なおさら家での内風呂なんて無理な話しで、みんな銭湯に通っていたのです。

 

4、江戸の町がホコリっぽかったため。

 

 

 

 

 

江戸の町ではアスファルトなんてもちろんありません。

現代からは想像しずらいですが道はすべて土です。もれなく土です。

そんな江戸の町では砂ボコリもすごく、みんな砂ぼこりを浴びて生活をしていたため毎日銭湯に通っていたのです。

 

以上が江戸の町で銭湯が流行った理由となります。

どれもすごい納得の理由ですね。

江戸の町の営みを身近に感じるような話しばかりで面白いですね。

 

 

それでは続いて江戸の銭湯は実際どういう作りだったのか?

というお話しに移ります。これまた気になるところですよね。

 

まず、銭湯の内部構造は今とあまり変わらなかったようです。

入口に入って、脱衣所があって、奥に浴槽がある、っていう。今の銭湯と同じですよね。

ただ、ちょっとずつ現代とは違うところがあったようです。

 

そんな現代とはちょっと違った銭湯の作りについてのお話しをします。

 

1、入口に弓矢があった。

 

 

 

 

 

え?弓矢?なんで?って感じですよね。

銭湯と弓矢なんてまったく結びつかないですよね。

 

その理由はなんと、

「弓を射(い)る→湯入(い)る→湯に入る」

っていうダジャレだったのです。すごく遠回しで正直わかりづらいですw

そんなダジャレで銭湯には看板代わりとして弓が飾られていたのです。

 

2、女性の脱衣所に刀を置く刀掛けがあった。

 

 

 

 

女性は刀を差すわけがないのに、刀を置く刀掛けが女性の脱衣所にあったのです。

「女湯の刀掛け」と俗に言われていたもの。

これはなぜか?

女性があまり銭湯に来ない時間帯の朝とか(朝は炊事で忙しい)に、町の捜査をしている奉行所の与力などが、女湯に入って隣の男湯に耳を傾けていたのです。

男連中がどんな話しをしているかを聞いて捜査に活かしていたのです。

そんな奉行所の与力などが刀を置くために女湯に刀掛けがあったのです。

イカツイ男捜査員が女湯から耳を傾けてるのを想像するとなんだかシュールですw

 

3、2階に男専用の休憩スペースがあった。

 

 

 

 

男の脱衣所のみに2階へと上がるためのハシゴがあり、2階には有料の休憩スペースが設けられていたのです。

2階の休憩スペースでは、お茶やお菓子を食べたり、将棋や囲碁ができたのだ。まるで現代の健康ランドのようですね。

しかもなんと、女湯が覗ける「覗き穴」まであったのです。(これは事件です。最高じゃないですか江戸)

 

4、浴槽の入口には石榴口(ざくろぐち)があった。

 

 

 

 

浴槽の手前に石榴口(ざくろぐち)と言われてた仕切り板があり、体を低くかがめて浴槽スペースに入っていくという構造になっていました。

なぜそんな面倒なことをしていたのか?

それは、板で仕切ることによって浴槽スペースの保温効果を高め、サウナ効果も得るためだったのです。これはすごく理にかなった構造ですよね。

では、なぜ石榴口(ざくろぐち)という名称だったのか?気になりますよね。

江戸時代では「鏡を磨く」ために「ざくろ」を使っていました。

そこから、

鏡を磨く→鏡を鋳(い)る→鏡(い)る→かがみ入る(かがんで入る)

というまたまたダジャレからこのような名称だったのです。

この難解さ。江戸っ子のダジャレへの本気度がわかりますw

 

以上が現代とはちょっと違った江戸の銭湯の作りのお話しとなります。

 

 

 

 

なんだか江戸の人達がとても身近に感じられる雑学でしたね。

 

江戸の人達も現代人と同じように、

毎日お風呂入ってサッパリしたいし、サウナも入りたいし、

ダジャレも好きだし、風呂上りに横になりたいし、女湯覗きたいしw

うん、間違いない、やはりすべてDNAで受け継がれいるのでしょうw

ご先祖様サンキューです。

 

 

以上をもちまして、

江戸の銭湯事情のお話しは終わりとさせていただきます。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

それではまたお会いしましょう。

ナンバーロックでした。